スキルス胃がん発見方法は?|「がんが発見されたとき」ピロリ菌除去・検査は効果がなかった

ハートと女性 「生きる」 心理

がんの怖さ

 
 

お元気でいらっしゃいますか?
「たきじ」の妻です。

今日は、癌の怖さと早期発見の難しさについて触れたいと思います。
 
 

ピロリ菌除去・ピロリ菌検査で安心してはいけない

病気する前の私は、仕事に追われて家事・子供の事・自分の健康…全てが、おろそかでした。

それでも健康診断は毎年受診して、胃癌・大腸癌検査をしておりました。

更に子宮癌・乳癌健診を定期的に受診。

 
 

胃癌と診断される1年半前には、胃カメラも実施。

胃酸過多・慢性胃炎と判明し、細胞を採取して病理検査とピロリ菌除菌をしていました。

病理検査は、陰性。

ピロリ菌除菌も成功。

処方された薬もきちんと飲んで、ひどかった胃痛から解放されました。

胃カメラ実施から8ヶ月後にピロリ菌の呼気検査をしましたが、やはり陰性。

 
 

この結果に安心して

「油断と過信」が生まれたことは、否めません。

その後の体からの危険信号をやり過ごす事になったのです。
 
 

進行癌のスピードは

とてつもなく速い

 
 

胃カメラ検査から1年半後、私の胃袋はとんでもないことになっていました。

 
 

スキルスで胃壁は分厚く肥大。

潰瘍はあまりにも巨大で、カメラ画像に収まりきれない。

胃壁の組織がズリ落ちて陥没している。

あちこちに出血の痕跡。

みみず腫れ。

胃が硬直して3分の2が機能していない。

採取した5箇所の細胞全てから癌細胞が検出されました。

検査入院した病院での主治医は、胃カメラを3万例以上診てきたベテラン医師でした。

その医師でさえ顔を硬直させ、初めて診る症例だと驚きを隠せない様子でした。

「進行性の胃癌です。大変深刻な状態です。癌が胃の皮を突き破っているかも知れない。 腹膜播種の可能性もあります。皮1枚でいいから守られていれば良いのですが。外科手術や科学療法が必要です。急いで大きな病院へ転院の準備をします。」
 
 

涙すら出ない
 
 

次から次へと告げられる病状。

嘘や夢ではない、残酷で冷たい時間が流れました。

「流れた」とうより「止まった」ような・・・

今思い出しても身震いします。

冷たく、つらく、孤独な時間でした。

 
 

私と主人は、ずっと手を握っていましたが、医師の説明の途中で主人は貧血を起こし、看護師の介助でパイプ椅子に横になりました。

 
 

私は、あの時、涙すら出ませんでした。

ショックを通り越して、達観してました。

うまく表現できませんが、断崖絶壁に立たされたような。

処刑台のギロチンに首を乗せたような。

真っ暗闇の宇宙に投げ出されたような。

そんな感覚でした。

 
 

天を仰いでから、ため息をつき
 
 

「現実は厳しいですね。子供が小さくてまだ死ねないんです。生きるにはどうしたらいいですか?どれくらい生きれますか?」
 
 

主人の手を固く強く握ったまま、そう質問したことを覚えています。
 
 

1年前の検査は問題なしだった

胃カメラの病理検査では陰性でした。

1年程で、こんなにも癌が進行してしまうのです。

スキルス癌の進行スピードは、恐ろしく速いということです。

 
 

一通り説明を受けた後に、医師から「外泊許可を出します。今夜は帰宅して家族と一緒に過ごしてください。」
余命宣告はされませんでしたが、されたようなものでした。

点滴を抜き、準備された薬を持ち、病衣のままコートを着て病院を出発。

冬の寒い夜、子供達が待つ自宅へ。

ウィダーインゼリーを買うために寄ったコンビニの煌々とした明るさが、なんとも空虚で平和で。

もう戻れない世界かもしれないと車中から眺めていました。

 
 

「ママが帰ってきたぁ」と喜ぶ子供達の顔が忘れられません。

一緒にお風呂に入って寝かしつけ。

子供達の寝顔を見ながら、一睡もできず朝を迎えました。

 
 

翌日の午後、病院へ戻る時は、子供達と共に。

寂しがって病室のベッドから離れません。

可哀想で申し訳ない気持ちと安心させたい気持ち。

ぐちゃぐちゃでした。

主人と子供が帰ると急に不安になり、この先私は、どうなってしまうのか…暗闇に引きずり込まれる恐怖が芽生えました。

 
 

病院に戻ったものの、転院しなければ、治療は始まりません。

今すぐにでも転院をと望む主人は焦っていました。

主人の思いが主治医を動かし、主治医の熱意が転院先の医師を動かし、ラッキーなことに翌朝には転院することができました。

 
 

転院当時の私は、フラフラで

移動は車椅子

食事は流動食(三分粥・葛湯・スープ)

点滴と経口栄養剤(エンシュア)

という状態でした。

 
 

癌の予兆と日常の不調

不調

 
 

長い育児休業明けで職場復帰するプレッシャー、新しい仕事への緊張、人間関係でのストレス(クレーマー対応と仕事をしない同僚)が、あまりにも酷く、周囲から心配されるほど追い詰められていました。

 
 

帰宅すれば、

夕飯の支度、長男の宿題、二男のお世話、お風呂、ご飯、寝かしつけ。

子供達が寝てから保育園と小学校のお便りに目を通して、それぞれの連絡帳に記入する。

朝はバタバタと送り出して戦争のよう。

出勤すれば、朝からフルスロットルな業務。

毎日くたくたでした。

その反動で主人と子供に当たり散らしてイライラ怒ってばかり。

動かない体にムチ打って。癌になって当然の生活でした。

 
 

慢性的な不眠に陥り、倦怠感、生理不順、頭痛、胃痛、背中の鈍痛、過活動膀胱、口唇ヘルペス、味覚障害、むずむず脚症候群、ふらつき。
次々と不調が出現。

 
 

内科、胃腸科、婦人科、泌尿器科、耳鼻科、脳神経内科、あちこちの医院を受診しまくり。

しかし、どこへ行っても「胃癌」という診断には到達しなかった。

今思えば、当時の私、全く見当違いの大ハズレです。

大きな病院で、一通り検査していれば回避できた事態かもしれません。

 
 

普段の不調が大病に繋がっていることはよくあることです。

「いつもの頭痛」「いつもの胃痛」「いつもの肩こり」

いつもの…これに騙されず、医師に食い下がって、しっかりと診てもらうことをお勧めします。

普段から日々の食欲や味覚、体重増減にも気を配りましょう。

 
 

過去を悔やんでも何も変わりはしないので、悔やむことは早々にやめました。

今は、癌になったからこその経験を活かして、家族の健康や食生活に目を光らせています。

そして、自分の体を

大切にすること。

労ること。

過信しないこと。

 
 

きっと、今まで無茶をした反省と罪滅ぼしの時間を頂いたのだと思います。
 
 


あと20年生きたい。

 
 
生きるための修行と毒出し期間。
そう思って。
目標

 
 
20年後
私 64歳
長男 29歳
二男 24歳

楽しみです(^-^)v

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